自分より相手の役たとうという選択
最近通話セッションをした時に出てきたお話しです。
Yさんと話していて、
「人と話しているとき、不快な思いをさせていないかとか、嫌われていないかなどを気にしてしまう」ということが出てきました。
その時にそれを解放する選択としては、
「私は自分のことに集中します」とか、
「私は人に喜んでもらえるように話せます」とか、
「私が人のことを好きになります」など
他にも人によりいろんな決め方があるとは思います。
これはポジティブな選択、という感じですね。
それに加えて本当に選択するということには必要なことがあり、それをぜっちゃんに教えてもらいました。
それは、「その裏に含まれる恐怖を受け入れる(受け止めるでも良い)」ということです。
「私は人を不快にさせてしまったり、嫌われたと感じたときにこんな恐怖を覚えるだろうけれど、それも受け止めます。」ということを自分に決めるということなんです。
何かを決めきれない、選びきれない方のほとんどが、ここを見落としているか、わかっていてもできないんだと思います。
そして、ちょっとここからは上級編かもしれませんが、
「どうして人に嫌われるとか、不快にさせてしまうと思ってしまうのか?」
というところを見ていけば、もっと奥深い選択ができます。
Yさんはどうして不快にさせたり嫌われると思ってしまうのかをぜっちゃんに聞くと、
「人の役に立ちたいから」と言っていました。
ですので「人の役に立つ自分でなくてもいい」ということを選択できれば、もう人を不快にさせたり、嫌われたとしても一気に大丈夫になる可能性がグッと上がります。
このように、根本の思い込みを選び直すことができれば、いろいろな思い込みに対してスムーズに人生の変化が起こっていきます。
とても逆説的なのですが、「人の役に立つ自分でなくてもいい」と選べたとき、今までのことはなんだったんだろう?と思うぐらいの役に立つ自分を発見できるようになるんです。
もともとそこまで人の役に立ちたいという強い思いがあるYさんの場合、私は絶対に人に役に立てると思いますし、それが本当にやりたくて生きている可能性が十分にあります。
役に立ちたい!という強い思い込みを良い方に生かせればいいのですが、逆に本来役に立てる自分の足枷になっている場合も多いのです。
なので、「役に立たない自分でも大丈夫」という選択をすることで、足枷だけを取ってあげるイメージですね。
Yさんに最後のぜっちゃんからのメッセージは、「自分の楽しめることを、もっとたくさんやってみてくださいね」ということでした。
Yさんが自然に楽に楽しんでいられるように、応援しています❣️