今までの人生が丸ごとひっくり返る選択
そうか。私は、今まで自分が愛されていないと、自分で決めていたんだ。
人が私のことを愛そうとしていることを、理解していなかったのは自分だった。
でも、本当にわからなかったよー!!
盲点だったよー。
気づくタイミングとか、人生の設計とかあるかもしれない。
でも本当に、なぜそこを理解しようとしなかったんだろう?と問いかけたくなる気持ちも出てくるぐらい。
私は全てにおいて、愛されていないフィルターで人生を見ていた。
それはそれは、地獄だったと言える。
その人なりに私をどんなに愛していても、私はそれを理解できないし、愛していないように見えた。
本当に人の解釈の幅というものにはびっくりさせられる。
私が今回教えてもらって決めた選択は、
「みんな私のことを、一生懸命愛そうとしていることを理解します。」
半年ぐらい前にも、ぜっちゃんに言われていた。
「あなたは、お母さんがあなたを愛していたということを、本当は理解してあげたかったのですよ。」
そう直接言われたのに、???だった。
理解してあげたい?私が?
って感じだった。
本当にわからなかった。
自分のことを切り捨てすぎて、自分のことがわからなくなっていたんだと思う。
私は愛されていないという選択フィルターによって、私は自分のことを極限まで押し殺したり、切り捨てたりしてきたと思う。
でも、本当に本当にそれがやりたいのか?
私は、人のことを理解したいと思って生きてきたのに、私の存在を自分で無かったかのようにしているってなんだろう?
相手が私のことを想っていることを無しにしたいなんて、本当にやりたいのだろうか?
それは、やりたくない。そうかろうじて感じた。
そうして選ぶことを私は決めた。
みんな一生懸命、みんななりに私のことを愛そうとしてくれているということを理解しますと。
私は、こういうことこそが愛で、こういうのは愛じゃないと勝手に決めつけてきたけれど、
みんなそれぞれに自分なりの愛を与えようとしてくれている。
それをまずは理解し受け入れられるようになって初めて、もしかしたら私の言いたいことも伝わるのかもしれないと思った。
私が理解していなかったから相手も理解してくれなかった。
そういうことは、自分では、本当に見えないものですね。
それを決めてから1ヶ月経った今、私の中の全ての解釈が変わっていると感じる。
相手の行動1つ1つがちゃんと受け取れる。
自分が何よりも楽。
イライラすることが激減した。
自分がしたいことをして良いんだ、言いたいことを言っていいんだ、と思える。
そして、何もしなくてもいいんだと同時に思える。
全てが変わりつつある。