選択しているということについて
こんにちは。あえゆうのちぃやんです。
今日は人生を選択しているということについて書いてみたいと思います。
自分で一つ一つ、何かを選択をしているということを考えたことがありますか?
例えば、「今、水を飲もう」とか、「後にしよう」とかも小さいですが選択ですね。
今日何を食べよう、いつ食べよう、どうやって食べよう、誰と食べよう。
それも一つ一つ選択です。
そして、「愛を受け取るか受け取らないか。」そういう選択もあります。
例えば、この人は私を嫌っているのか、好きなのかという選択を自分でするということもそうです。
○○をしてくれないから、この人は私のことを嫌っているんだろうな。
こんな態度をとるってことは、私のことが嫌いなんだろうな。
と受け取る選択をするのか。
それとも、この人はこれもあれもしてくれないけれど、きっと私のことを好きでいてくれるんだろうな。
この人はただ不器用なだけで、本当はきっと私を愛してくれているんだろうな。
と受け取る選択をするのか。
ということも選択なんです。
このように、相手が自分をどう思っているのかを自分でどう受け取るかという選択もありますし、
そもそも人からのネガティブな気持ちは受け取らないで自分のことに集中する。という選択肢もあります。
本当にいろいろな選択肢があり、そして何かを選択しているということ。
結果的に選択してしまっていることであっても、消去法でそれしかなかったとしても、最終的にそれを受け取ると決めているのは自分です。
そうだとすれば、自分で選び直すということができます。
もしあなたが自分で選びたくないことを選んでいるとしたら、一緒に選び直しましょう。
そして、新しい選択肢が選べないとしたら、どうして今それを選んでいるのかを知ることも大切かもしれません。
苦しいことであっても、自分の中で納得してそれを選んでいる自覚があるのか。
それともただ人から選ばされていて、イヤイヤやっているのだという自覚なのかで、人生はだいぶ変わるからです。
「自分の人生は自分で選択できる。
そして、今までもちゃんと選択してきたのだ」
という自覚を持つことは、私にとってものすごく助けになりました。
そう思えたことで私は、親や他人を許し、自分を許し、これからは自分のために人生を歩もうと思えました。
選択の自覚を持つということは、人生の主導権を取り戻すということにつながります。
人に自分の人生を決めてもらうという生き方も選択肢としてはありなので、どちらを選びたいかということですね(^^)
どちらを選んだとしても、あなたが幸せならいいと思います。