表現したくない!という私の選択
本当は○○したいけれど、こんな理由があってできない。
そういうことって、誰にでもあるような気がします。
私の場合は、「表現」です。
私は自分が普通になれないのを、奥深くで知っています。
でも、普通に生きていかないといけない。
だから自分自身を封印して生きてきました。
前回の記事で、自分を出したくない!に対応したということを書きましたが、
自分を出してもいいのかも、となった時にさけては通れないものが、私にとっては表現ということです。
自分でいるということは、私はきっと、表現者なのですよね。
だから昨日ふわっち配信をしているときに出てきたのは、「表現できない。表現するのが嫌だ。」
これでもかと封印し続けて早何十年。
私は赤ちゃんの時から、寝返りさえも打たない、そして排泄すらしたくない赤ちゃんだったようです。
どれだけ封印してるんだろ。
普通は幼い時こそ、本来の自分であるはずなのに〜。^^;
あはは。こりゃ赤ちゃんの時から、相当頑固ですな。
それがひっくり返った時が楽しみではあるんですが、やっぱり抵抗はまだありますね!
EFTをして感情解放をしたあと、私にとって必要な人が現れ、自分の表現について考えさせられる出来事がありました。
私は、自分が人に意見をするとき、時に人を傷つけることを知っています。
そのことが、とてもとても怖かった。
誰がどこで傷つくのかも、わからない。
全員分知りたくても。
そして私はいつしか自分と、自分の表現力を切り捨てたんですね。
誰も傷つけないという生き方を実現するには、私にはこうするしか方法がなかった。
でも、それでは私自身に力がでないのです。
相手だけに力を与えようとする生き方。
それはもう終わりに近づいているようです。
「例え人を傷つけたとしても、私自身が後悔しない表現を。」
後悔したり、後に引きずったりしないように、私に今できる最高のことをやる。
そうすればきっと、例え相手が傷ついたと言ってきても、それに対して一緒に考える力も温存でき、私は私を許してあげられるでしょう。
私はどんな人のことも笑って受け取りたいから、これからそういう選択をしていきたいと思います。