自分ではわからない自分のことと、その選択
昨日のライブ配信で、緊張から自分を出せなくなっていた私。
自分が出せない、ということに対して今できることあるのかな?
とぜっちゃんに聞いてみた。
「あります。
どうして自分が出せないのかを掘り下げていってみてください。
そして選択をしてみてください」と。
私はどうして自分を出すのが怖いのだろう?
「それは、相手にどういう感情を与えたいのかがわかっていないからです」
そ、そうなのか、、
なるほど、、、
思えば、相手に与えたい感情は特に設定してない気がする。
私が何かいいものを与えられるとも思っていなかった。
それは相手の自由を奪いたくないしなんでも受け入れたいと思っていたし自分のことはいつも後回しだったから、自分のやりたいことをやるということに慣れていないから。
「相手に与えたい感情はあってもなくてもいいけど、あったほうが自分を出せます。」とぜっちゃん。
私は何を与えたいんだろう?
与えられなくてもいいけど、自分でそれをわかっているのとわかっていないのとでは大違いであるということ。
少し考えていると、ふいに大切な人がくれたカードが目に入る。
「ちぃやんがいるだけで、私も幸せだよ。」
そうだ。
あなたはいてもいいんだよ。
それを私も与えたい。
すぐにある思いが浮かぶ。
ライブ配信で唯一、泣く泣くブロックしてしまった、枠を荒らした人のこと。
「ああいう人にも、どうやったらそう思わせてあげられるのかな?」
「あなたにできることは、あなたが相手にいてもいいんだよと思ってあげることだけです。」
そっか。
その気持ちをベースにコミュニケーションを取ることなんだね。
私はもう一度大切な人がくれたカードを見て、
「無理に何かをやらず、受け取るだけでも相手にそれを与えることができるのかもしれない 」
と感じた。
私は自分が自分にいてもいいんだよと思っているだけでは不十分で、相手にもいてもいいんだよと与えてこそ自分が安心できる。
安心できるから自分を出せる。納得した。
私はそう自分のことを掘り下げたことがなかったな。
それが私の自分を出せないこととつながっているなんてわからなかった。
こんなに自分を出せなくて困っていたのに、こういう視点を思いつくのは難しいといつも思う。
ぜっちゃんがいなかったら、私は自分の人生の流れからはみ出し、やりたいことがわからないまま一生を終えていたかもしれない。
私は、どうやって決めたらいい?
ぜっちゃんはこう言ってくれた。
「私は、いてもいいんだよと、人に伝えることを選びます。」